2018年06月22日

狂の精神史、中西進」「能 神と乞食の芸術 戸井田道三」特に衝撃的だったのは

所詮 現実には真実はない 音楽の盟友よりすすめられた、二冊、「狂の精神史、中西進」「能 神と乞食の芸術 戸井田道三」特に衝撃的だったのは「狂の精神史」著者は我々人間のメンタリティーとして内的実相意識、内的狂的精神と大きく分類、内的実相意識は当然生きるための表面意識、あるがままの世界を捉える意識、内的狂精神は自身のうちにあるパラレルワールド
意識、実相世界には実在あるのだろうか?もし実相が虚幻であれば、実在永遠は何処にあるか、さまざまな過去の観阿弥、世阿弥、和泉式部、松尾芭蕉、風狂に生きた芸術家
上人僧やさまざま坊主、蓮華城坊という坊主が入水して成仏を遂げるため、意識がこの現界に未練を残さない訓練をして死を遂げる。まさに狂なり。まさに死狂なり。
風狂に生きたあの尾崎放哉、俳諧師をふと思い出す「漬物桶に塩をふれと母は生んだか」
最後に「能 神と乞食の芸術 戸井田道三」にて確認できた内容は世阿弥の父の観阿弥の頃の能はかなりさまざまな形体が錯綜する能があったようである。なるほど思った。
わたしも先人の風狂を目指して、表現し続けよう。自身の恋が実らないからと。求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないことにやけにならず、狂に生きよう。
この世界は虚であるからこそ狂に生きよう。ありがとうございます。
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posted by 和完 at 08:42| Comment(0) | 日記
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