2018年03月02日

自身が何故?即興三味線演奏に生涯をかけてきたのか?自身に疑問を提示した。

諏訪春雄博士の日中比較芸能史を読んでみた。
自身が何故?即興三味線演奏に生涯をかけてきたのか?自身に疑問を提示した。
他の音楽家や芸術家の多くは譜面という(A)音楽理論に基づき、または(B)感覚の耳や所作の真似により自身のスタイルを構築する。わたしはBの発展形体であり、演奏中は自然的にトランス(憑依)しトランスしてきたエネルギーにまかせるように演奏する。これは本来の神楽である囃子と巫女の二役となる。
自身の表現形体は自身独自のものではなく、本来の芸術家たちの姿でもあったようである。再度。日本の芸能、そして中国の芸能にその原点があることに気づき、諏訪春雄博士の日中比較芸能史を熟読してみた。全体としては350ページとそんなに長くないが、以外に複雑で難解のため二度ほど読んでみた。
そこで確認できた事項をここに掲載したいと考えました。
能の成立は奈良時代、朝廷で悪鬼を払う追灘式を寺院で展開、中世の民間神楽も悪鬼を追払と同じ、歌舞伎の発生はお国の念仏踊り(死者の追善)歌舞伎は神迎え→神人交歓→神送り、能の基本はこれにほぼ同じ、能、神楽、お面は神の依代、歌舞伎の隈取も神の依代、能の翁は民族の最高祖先神を迎える儀式、
日本の芸能、能、神楽、歌舞伎はシャーマニズム儀礼→トランス神がかり→神がかりから生まれた擬態が演劇に変化してきた。
ほんの割愛した断片内容ですが。日本の芸能の基本はトランス芸能であり、自身も自然的にその方向性に向かっていたということが確認しました。

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posted by 和完 at 10:01| Comment(0) | 日記
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