2018年06月30日

すごい来訪者が我が家におとずれる


すごい来訪者が我が家におとずれる
以下は来訪者との会話です。
和完 「初めましてわたしは和完といいます」
来訪者 「おー」
和完 「お名前は」
来訪者 「名前!そんなものない」
和完 「そうですか?」
来訪者 「わかんとやら、名前だ シンボルだというところでの関係性は3次元の悪い特徴癖である。思念と意志とで実在関係を結べ!」
和完 「いきなり、難しい、あなた昆虫のナナフシでしょう」
来訪者 「昆虫?ナナフシ?今、名前だ シンボルとの関係性は理解の邪魔になるといったぞ」
和完「すいません、ならば、何故うちにいらっしゃいましたか?」
来訪者「それは こちらのセリフだよ、おまえこそ何故そこにいるんだ?」
和完「ここが 我が家ですから ここに居て自然です」
来訪者「それは 人間特有の幻想マトリックスだよ」
和完「意味わかんねえよ  わかるように説明してくれ」
来訪者「頭悪ね インテリジェンスなしなしね お前の実在もそれに関わるものすべては幻想マトリックスだよ」
和完「なるほど 釈迦じゃあるまいし 現れているものすべては無 般若心経か」
来訪者「そんな宗教論生命論をいっているんじゃないんだよ」
和完「なら 何が実在なの」
来訪者「そんなもの自分で発見するんだよ あると思うものはないんだから 一生懸命生きて 追求して発見するんだよ」
としばらく問答が続く

ふと気が付くと来訪者の姿は消えていた!
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posted by 和完 at 07:49| Comment(0) | 日記

2018年06月22日

狂の精神史、中西進」「能 神と乞食の芸術 戸井田道三」特に衝撃的だったのは

所詮 現実には真実はない 音楽の盟友よりすすめられた、二冊、「狂の精神史、中西進」「能 神と乞食の芸術 戸井田道三」特に衝撃的だったのは「狂の精神史」著者は我々人間のメンタリティーとして内的実相意識、内的狂的精神と大きく分類、内的実相意識は当然生きるための表面意識、あるがままの世界を捉える意識、内的狂精神は自身のうちにあるパラレルワールド
意識、実相世界には実在あるのだろうか?もし実相が虚幻であれば、実在永遠は何処にあるか、さまざまな過去の観阿弥、世阿弥、和泉式部、松尾芭蕉、風狂に生きた芸術家
上人僧やさまざま坊主、蓮華城坊という坊主が入水して成仏を遂げるため、意識がこの現界に未練を残さない訓練をして死を遂げる。まさに狂なり。まさに死狂なり。
風狂に生きたあの尾崎放哉、俳諧師をふと思い出す「漬物桶に塩をふれと母は生んだか」
最後に「能 神と乞食の芸術 戸井田道三」にて確認できた内容は世阿弥の父の観阿弥の頃の能はかなりさまざまな形体が錯綜する能があったようである。なるほど思った。
わたしも先人の風狂を目指して、表現し続けよう。自身の恋が実らないからと。求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないことにやけにならず、狂に生きよう。
この世界は虚であるからこそ狂に生きよう。ありがとうございます。
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posted by 和完 at 08:42| Comment(0) | 日記

2018年06月18日

あのフラメンコのじたんだ踏む踊り

ジプシーキングス。で瞑想、このバイブレーションの中仕事に向かおう。美しく悲しい。フラメンコ革新。戦国時代、日本の女性たちは何十万人と火薬や武器のおんしょうのため、西洋にその身柄を売買された、その多くが、スペインのバルセロナに流れ、自身の悲しみ苦悩を叫び、あのフラメンコのじたんだ踏む踊りが確立したと噂される。わたしはすっかりトランスしてきた。神よ世界は悲しみと喜びに似たマトリックスに翻弄される万華鏡ですね。あー涙が流れる。


posted by 和完 at 08:15| Comment(0) | 日記